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2009年7月

雨の木堂祭り

今年の祭りは前代未聞らしい。

予定日の土曜が朝の大雨でグランドが使えず延期。

翌日の変更日も天気予報はずっと雨、始まって以来の祭りの中止が危ぶまれた。

  

ところが土曜の朝は大雨ではあったが昼からは降らず、それが日曜朝まで続いた。

現時点ではグランドも悪いながらも使えるし、まだ雨は降っていない。

遂に変更日は昼から雨と知りながら、強行開催されることとなった。

私は様々な衛生予報、アメダスを見ていた為か、その強行が無謀なものであると感じた。

おそらくそれは私だけでは無かった様に思う。

  

準備はおよそ計画通りに進められ、予想以上に絶望的な大雨も降ったりもした。

その度に部員達はスポンジやシャク等でグラウンドの雨水をすくい出す。

これにはさすがにその場にいた方々のみならず部員も無駄な事と感じたであろう。

  

しかしやるからには全力でやって成功させようとの想いは皆同じである。

地域の人達もこの日をきっと待ち望んでいる。

そんな志を持った者の行動には無駄と言うものなどない。

確かにグラウンドの水引き作業は大雨でまったくの無駄どころか、最後にはグラウンドは田んぼ、浅い沼のような状態になった。

  

だがその地道な作業を見た来場者、出展者に与えた影響は大きかったように思う。

来場者の方は、あの光景を見て今日は必ずやるんだな。

出展者は、ああしてがんばっているのに自分だけ店を引く訳にはいかない。

そう思って頂けるには最高の行動ではなかっただろうか?

結果夕方には例年並の人が訪れ、祭りとしての店舗は揃い、予定された行事は滞りなく終えることが出来た。

夕方雨がきれいに止んだのは運以外の何物でもないが、それすらも最高の演出だと流れを引き寄せたとの見方も出来る。

まさに「念ずれば通ず」である。

  

愚かなのは自分の常識に囚われた考えであった。

そんな私も無駄、無謀と諦めていた訳ではない。

今回は射的班の責任者なのもあり、射的場の治水作業をスコップ片手に黙々とやっていた。

祭りでトップクラスの人気の射的場は子供達でいつも渋滞し、足場は最悪になる事明白。

治水作業により比較的マシな足場になったのと、構想通り流れる雨水の道がちょっと嬉しかった。

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深層世界

最近私はめずらしく不眠症に陥ってしまった。

考え事のせいか、太陽をしばらく見てないせいだろうか。

寝たくても寝れないのは辛いことだ。

そんな日も3日目、不眠を快適に過ごそうとついに開き直ることにした。

  

薄暗い部屋の中、目を閉じ、更に暗い闇に入り込む。

闇の中の水面に身を委ね、ゆっくりと深層へと体を沈ませる。

浅い水面では光がゆらぎ、周りには何も見えない。

しばらくすると光も届かない底に沈んだ、そこでは完全に何も無くなってしまった。

あるのは、自分の記憶だけ。

過去、現在、未来を浮かべる。

未来は曖昧だし、その先に見えるのは真の闇と言うか無だ、考えるのはやめておこう。

過去、なぜか楽しい記憶しか思い出せない幼少期、そこから徐々に辛い記憶が入り混じっていく。

記憶に残る様々な人が思い出される。

どうやらそれら全てが今現在の自分を形成しているようだ。

現在、苦楽はあるが別段突出したものはないようで、

健康であり、暖かい人々に囲まれてなんとかやっている自分が在った。

ただそれが妙に嬉しくてなぜだか涙がこぼれた。

自分は幸せであるな。

それに比べると今ある願望、執着、プライドなど全部取るに足らない。

人は思い出だけでは生きていけないとかいけるとか・・・。

人は幸せな思い出一つあればそれだけで生きていける気がする。

未来の先にある無、できればその前にもう一度記憶を辿りたいものだ。

少し明るくなった、窓の外が明るくなりだしたようだ。

たぶん今日も一日いけるな!

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夏祭り準備

吉備地区の木堂祭りまであと2日。

今日は昼からの野外作業を終え、頭痛を患って帰路に着いた。

けれど頭痛一つで弱音は言っていられない。

皆過酷な状況下でがんばっている。

私もお世話になっている商工会の為、また青年部の為に祭りを成功させたいとの思いは同じである。

  

この日も炎天下での作業を終えて、酒場で騒ぐ流れだ。

しかし私は酒の場にはいかない。

なぜなら、酒に弱い私は飲むと頭痛はもちろん、ウイルス系の病気にかかり易い。

弱った体で酒を飲むと免疫がさらに低下してそうなるようだ。

また、飲まないにしても酒の場は苦手なのである。(友人は別ではある)

  

そんな乗りの悪い私はいささか異端視される。

また想いとは裏腹、野外作業ではついていくのがやっと、それを挽回する機会もない。

けれど重要な所からは、店を空けてでも苦手な野外作業にも参加している。

そう思われていれば私は十分である。

  

土曜の祭り当日は雨との予報が不安ではあるが。

今の時点で降水確率が70%、しかしそれは雨量を示したものではない。

当然一日の70%が雨というものでもない。

願わくば1mm程度(小雨)の降水であってほしいものだ。

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夏祭り書道展示

夏の木堂まつりまで後10日となった。

来週からは準備で忙しくなる。

祭りの前にこの地区の小学校は書道を書く、

祭りの主役犬養毅(犬養木堂)にちなんだ文字だ。

  

優秀な作品は祭りの会場に展示される仕組みで、

それ以外の作品は地区の協賛店舗に張ってもらったりする。

うちでもかなり大量の書道作品をさっき張り出した。  

D_001

まさに店の表全面と言っても過言ではない。

今年は友の書道先生に準優秀作品として1~2枚選んでもらおうと思ったが、

ドラクエ等の為にすっかり忘れていた・・・

まあ機会あれば来年にでもお願いするとしよう。

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真夏のファンタジー

暑い夏はやはりインドアに限る!

インドアとはアウトドアの逆で部屋で趣味を楽しむことだ。

  

人は何かを隠し、何かから逃げ、そして何かを求めて生きている。

それらを忘れ、求むものを比較的容易に手にする事のできる心の求める安らぎの場、

それが趣味でありある意味現実逃避なのだ。

ぞれぞれ形は違えど現実逃避と言う名のレジャーは多くの人が持つ。

その面ではスポーツ等のアウトドアも家で趣味に興じるインドアもその根底は同じである。

  

人の背負い込める業の許容量はそれぞれだが、私はおそらく少ない。

それらの趣味を持たずともやっていける人は強いんだなと関心する。

現実だけ見て生きていける程、現実はファンタジックではないし私は強くない。

しかしファンタジックで自身が強くなれる場所がある!(これが言いたかった)

 

この夏は冷房の効いた部屋の中で仲間とドラクエをやるという。

(携帯ゲームを使っての通信プレイ)

なんとも小学生さながらの行為をする事になった。

レジャーの真髄は子供のように無邪気に遊ぶである。

夏休みもない社会人だが、これなら短い時間でも容易に楽しむ事ができる。

一人ではなく仲間と楽しむインドア。

そんな他愛も無いひと時、仲間との思い出、お金で買えない価値がある。

買える物は、マスターカードで。

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競馬ゲーム

久々に古本屋をぐるぐる回っていた。

すると店の片隅に特価コーナー発見。

中に競馬ゲーム(牧場の運営)があった。なんと105円だった。

大学の頃、イケミという馬好きと共にその競馬ゲームにハマッタのが懐かしい。

今頃彼は北海道で馬育てがんばっているのだろうか。

そんな事想いつつも馬育成に再び熱中してしまった。

  

しかし現実の競馬には手を出しはしない。

おもしろいんだろうけど、どうも賭け事には拒否反応が出てしまう。

パチンコ、競馬、競輪、競艇etc、それらに使う金のゆとりがないのも幸いしているか。

趣味の範囲ならば良いが、自制が効かなくなるとその末路は恐ろしい。

  

その賭博システムを分析したりもしたが、かなりうまい事できている。

細部等は知るよしもないが、ネットで調べれるだけでその巧妙さには関心してしまったものだ。

近年ではPLAY無料と謳われるネットゲームにソレに当たる。

ネットの中ながら人の物欲、向上心、見栄等をついた有料ギャンブルを含む。

中毒性+賭け事は、人一人の人生を狂わす事は容易い。

  

おもしろい事を探すのでも世の中罠だらけだ。

人の欲望の影に罠あり、自らの欲が働く時こそ隙であり、重々警戒怠る事なかれだ。

そう、誰でもそんな事は分かっていると思ってはいるが、

デパート並みのデカさのパチンコ店が大繁盛しているのを見ると、それも揺らぐのであった。

  

ちなみに買った競馬ゲームは、賭けばかりして運営していた牧場を潰してしまった。

やっぱ自分は賭け事はゲームの中だけだな・・・。

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古き知恵と現代の情報

今回はコラム日記。

お店には高齢の方も来られる。

そんな高齢の方の話がおもしろい。

その中で若者のネット世代との共通点を見つけた。

若者は脱TV化していっているが、今の情報の在り方を危惧した若者の考えと、

今の時代に高齢の方が憂う違和感の原因の一致である。

  

近年政治等の情報の偏り方がひどいと高齢の方は言う。

確かに政治が不信となれば解散選挙となる、そうなれば選挙利権を手にするのはどこか、

またその為に混迷を誘っているとすれば、それはもう公平な情報ではない。

意外なところで私は知っていて(NETで)高齢の方は知らない情報なんかもあった。

  

そして話しを聞くうちにやはりある一つの結論にたどり着くのである。

受動的に情報を得る時代から、能動的かつ広く情報を得るに時代への転換である。

ガンダム的に言えば「○○に魂を引かれた人々をNETに巣立たす時である」

「今日の都合で魂を売った人の決定など. 明日にでも崩れるものさ」だ。

話しが反れるしこのくらいで・・・

  

他には頼んでもいないのに話してくれる戦時中の話。

ただ話したいから、寂しいから、そんな事ではないように思う。

今の平和(ボケ)な人にその原点、苦労があってこその今と伝えてくれているのだ。

そんな戦時中の話は言い方が悪いが、スリリングでエキサイティングである。

まさに生きた歴史の先生だ。

  

今こうして平和に暮らせている隣ではミサイルがビュンビュン飛んでたりする。

まあ冷静なうちは、ソレが日本に当たる事はないが。

何事も「維持」し続ける事は原点の苦労を忘れるべからずだ。

政治もなにかと混乱したようになっているが、

今、政治を任せられるのは、そんな戦時中の苦労を知った高齢の方ではないだろうか。

そんな事想いながらもまた高齢の方の話しを楽しみするのであった。

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